こんにちは、馬渕まり(@rekijoymary)です。5月のある日曜日、夫のちょっとお出かけしない?に乗っかって歴史ウォーキングのネタにするべく「岩村城」に行って参りました。……位置を苗木城と勘違いしておりちょっとじゃないお出かけになったのは秘密です。
織田信長の叔母が治めた岩村
岩村城は「日本三大山城」に1つに数えられる標高717mの高所に築かれた山城です。山城ですから、登城すれば良い感じの運動量が期待できます。 商店街を抜け、案内板の通りに車で登って行きますと、細い道をずんずん進み、出丸にある駐車場に… って本丸まで3分。これでは運動にならないです(涙)。あと出丸駐車場までの道は狭く、車の対向が大変です。
仕切り直すべく「岩村歴史資料館」まで戻り車を停めてレッツ登城。ここで200円の登城ガイド購入もオススメです。
★ここを逃すと出丸駐車場までトイレが無いのでご注意 。(トイレは歴史資料館営業時間のみ)
★山頂含めて以降に自販機はありません。 水筒やペットボトルを持参しましょう。
博物館から本丸まで850m、20分の道のりです。
再現された藩主跡の前を通り、登城口から歩くと恵那ゆかりの三好学博士の像や下田歌子勉学所があります。 200mくらい登ると登城坂である藤坂に到着。舗装路が終わりここから石畳になりますが、 きちんと整備されており、段差も小さく歩きやすいです。 木々が日差しを遮ってくれて快適。 小学生くらいのお子様連れて来ている家族も!
初門、一の門、土岐門などちょこちょこ遺構があり楽しく登れます。 石垣が出てくるとテンション爆上げ。
本丸下段(長局)北東コーナーの石垣、六段壁は圧巻。 はじめは最上部の一段だけだったところに補強の継ぎ足しが行われ現在の形になったそうです。
写真を撮りながらマイペースで歩き片道25分で本丸に到着!
下りも同程度の時間がかかりました。 往復50分、下りはちょっと滑りそうで気合いを入れて歩きました。 さて消費エネルギーはどのくらいかしら。
運動強度から消費エネルギーを計算しよう
「メッツ」という単位を聞いたことないでしょうか?メッツは身体活動の強さを安静時の何倍に相当するかを表す単位です。消費エネルギー(kcal) = メッツ ×体重kg ×運動時間×1.05の式を使って岩村城登城の消費エネルギーを計算してみますね。
厚労省、改訂版 『身体活動のメッツ(METs)表』 https://www.nibiohn.go.jp/files/2011mets.pdfを用いて、この運動を考えますと、野山や丘の斜面をふつうのペースでハイキングする、または歩く(5.3メッツ)あたりでしょうか。体重60㎏、50分間を式に当てはめると278キロカロリー、いい汗かきました!(ちなみに翌日足が筋肉痛になりましたよ)
おんな城主の悲劇
さてさて、岩村城には悲劇の物語が伝わります。 お酒の銘柄にもある「おんな城主」、モデルとなったのは織田信長の叔母おつやの方です。
戦国末期、岩村城主・遠山景任に嫁いだおつやの方でしたが、子ができる前に夫が亡くなったため信長の五男である坊丸を養子に迎えました。幼い坊丸を支え実質的な領主として領地を治めていたおつやの方。1572 年(元亀 3 年)、そんな岩村に武田軍が攻めてきました。 おつやの方は籠城し信長の援軍を待ちますがこの時期の信長、長島一揆などで救援が出せません。3ヶ月の籠城で食料が不足してきたところに敵将、秋山信友からおつやとの結婚を条件に無血開城を持ちかけられました。城兵や領民のためにと信友と結婚したおつやの方。養子の坊丸は人質として信玄の元へ。
これに腹を立てたのが信長、叔母とは言え寝返った上に実子を人質にされたのですから仕方はありません。 1575 年(天正 3 年)、長篠の敗戦で武田が勢力を失うと、織田軍は岩村に侵攻しました。半年の籠城戦の末、信友とおつやの方の助命を条件に降伏となりますが、信長は2人をゆるさず逆さ磔で処刑しました。おつやの方は信長に対し「叔母に対しこのような非道なことを行うとは、必ず因果の報いをうけよう」と呪ったそうです。
さて7年後、甲州征伐に自ら出陣した信長は岩村城にて武田勝頼自刃の報を聞きます。 天下統一に大きく前進と思いきや、その82日後に…… 。
余談になりますが、岩村城下町は江戸時代の街並みが1.3kmに渡りよく保存されています。 商店街の一部は朝の連続ドラマ「半分、青い」のロケ地に使われ、懐かしい昭和香りがする「ふくろう商店街」としてド撮影に使われた小物などが展示されています。小さなお子様連れや足に自信のない方は出丸駐車場まで車で行き、岩村城を見学した後、商店街の散策を楽しむのも良いかもしれません。 … 食の誘惑が多いんですけどね、ムシャムシャ(五平餅美味かったです)。
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