藤原道長と糖尿病【歴史コラム】

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糖尿病に歴史を絡めてゆるっとご案内

 こんにちは、馬渕まり(@rekijoymary)です。糖尿病のまじめな話は若い者に任せましてさくっと読める歴史コラムを担当いたします。ちなみに新ネタで「ド・ゴール将軍と糖尿病」を書き下ろす予定でしたが4月からちょっぴり出世して忙しくなった&GWはユニバで遊んでいたため第1回は鉄板ネタになってしまいました。

さて、わが国の糖尿病患者数は戦後に大きく増加しておりますけれども(最近は横ばいです)、糖尿病は古くから知られていた病で、紀元前1500年ごろに書かれたエジプトのエーベル・パピルスには糖尿病に対する処方も記されています。ニワトコの実、きゅうり、ナツメなどとミルク、ビールを混ぜたものを3日間飲む治療はあまり効かない気がしますけどね!

栄華を極めたあの人は糖尿病だった!

 日本史に目を向けると、娘を天皇に嫁がせ、栄華を極めた平安貴族「藤原道長」も糖尿病であったようです。道長自身の書いた「御堂関白日記」や同時代の貴族藤原実資が記した「小右記」、こちらはだいぶ辛口の日記なんですけど、それらの中には道長が糖尿病で合併症に苦しんだと思われる記述があります。

 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と宴会で詠んだ2年前あたりから道長には多飲・多尿の症状が出ており、望月の歌の翌日の小右記には「昼夕区別なく,ただただ目が見えない」と道長が視力障害を訴えたことが記されています。『御堂関白記』にも「二、三尺相去る人の顔も見えず」と道長が目を悪くしていた記述があります。おそらく糖尿病性網膜症ないし糖尿病が原因の白内障だったのでは?御堂関白日記には胸痛の記載も頻繁にあり、心臓の血管が狭くなっていた可能性も考えられます。

 30年くらい前にこの話を聞いたときは「貴族だったので贅沢な暮らしをして糖尿病になったのかな」と思ったものですが、よく家系を見ると兄の道隆,叔父の伊尹,甥の伊周が糖尿病と家族歴が非常に濃厚であったことがわかります。

藤原北家家系図の一部、★マークが糖尿病

 さらにさらに貴族のトップとなれば宴会も仕事のようなものであり「贅沢をしたから病気になった」わけではないことがわかりますね!ちなみに当時の治療法、メインは【祈祷】です。さすがに祈っても血糖値は改善しませんよね。

 道長は背中の癰(よう)、毛包が細菌感染したことよるできものが悪化し、敗血症とみられる症状で亡くなっています。享年62で当時としては長生きでした。

 1994年神戸で開催された第15回国際糖尿病会議を記念して発行された切手には藤原道長の肖像画とインスリンの結晶が描かれています。

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